毎度毎度行くまでは『授業参観だるいな〜』『ママ友いないし寂し〜』って思うんだけど、行ったら行ったで家とは違う我が子の一面に触れられるので『ド最前列で推しを摂取できるこの幸せ!』って毎回思うし他所のママのことはどうでもよくなる 単推し同担拒否のemanonです(ぼっちママの新しい呼び方)
抽選で当たらないと行けないライブと違っていつでも良席がご用意されてるのはありがたいことですね
参観は欠かさず行ってるけど担任の先生の授業がテンポ良いと1時間はすぐだし、かったるい先生だと1分が永遠に思えるのでつらい 体感で女の先生にはずれが多い
というか低学年のころは授業の難度の低さゆえに退屈な時があったけど、5年生くらいになると授業も割と面白いなーと興味深く聞いてる
最近息子くんと一緒に塾の宿題やってるので(あ〜前に習ったところだな〜)って復習気分で問題を解いてみたりなど
体育の授業の参観とかあったらいいのになーと思うけど保育園と違ってそういうのはないんだよなあ
帰り道は息子くんの気分次第で友達と帰ったりママと帰ったり ママ的にはお友達優先してくれてかまわないんだが、息子くんと学校のこと色々話しながら帰るのもまた楽しからずや
まあいうて10歳ともなれば親に反抗もするしちっとも言う事聞かなくてクッソ生意気で可愛くねえ〜って思うことも多いのだけど、なんやかんやで結局我が子は可愛いのでモヤモヤもウヤムヤになっちゃうのよね
今日も今日とて「真のネリケシマスターは消しカス以外の物も練ることができるのだ……」って言いながらカバンからはみ出した繊維をこねこね丸めてた アホかわいい
子供の存在は私にとってのリミッターであり『(子供のために)真っ当な生活をしなければならない』という縛りプレイ人生なのであるが、これを「子供がいるせいで自由に生きられない」と考えてしまうか、「子供がいるおかげでまともな人生を送れている」と考えるかで人生の充実度が大幅に変わる
夫がいて子供がいて、つまるところ自分が支えるべき家族の存在によりマトモな人間になれている(マトモな人間に擬態できている)ことに安心感を得ているところがあるがゆえに子離れに対しての不安が強くなるんかな? と思ったり思わなかったりラジバンダリ