ぼっちママのぼちぼち育児

高齢出産のち男児持ちになりました。ぼっちママの育児記録。

妊娠出産についての後悔とか(比較的どうでもいい話)

どうでもいい話です。(結論)

 

 

夜中眠りに落ちる寸前に、ふと、マタニティフォトって撮らなかったな、などと思い返し。

子供に見せて反応見てみたかった気もするな、そしたらそのへんきっかけに胎内記憶とやらも引き出せたのかな、スタジオとかかしこまったものでなくてもなんか普段の自分と違う様子を軽く撮影して残しておいたらよかったな、へそが平らになるなんてもう体験できないんだな、とあれこれ連鎖的に考え、なんだかとてつもなく大切な物を失ったかのような喪失感で目が冴えて眠れなくなってとりあえずブログなんか書いたりしてるわけです。

 

いや、まあどうでもいいことなんですけど。実際。子供が元気に生まれてすくすく育って、それ以上のことがあるだろうか。いやない。

 

 

 後悔する理由と、気持ちの切り替え方

後悔がつのる理由として、自分の場合は以下のような感じ。(個人の感想です)

①標準でいたい意識

みんな当たり前のようにやってる、だから自分もやってないと焦る、不安になる、やってないと損をした気がする。

 

②手に入らないものほど欲しくなる

「時間」という、基本どうやっても取り戻せないものだから。2人目の予定もないし。

 

③記憶の不確かさへの不安

人の記憶がいかに不確かであるか、を歳をとってから実感するから。腹の大きさどのくらいだったかな。既に記憶が曖昧。

 

④子供に関することだから

「ここに息子くんが入ってたんだなー」と懐かしみたかった。つまりは、子供のイベントを撮り逃したのと同じ感覚。

 

 

『記録より記憶』とか耳触りのいいこと言っても、やっぱ人の記憶は不確かなものだし、他人が当然のように持っているものを自分が持ってないことについての嫉妬もあるね。

 

マタニティフォトとか、自分だけでなく子供が絡んでくることだから、余計に後悔があるのかな。

腹の形を残しといたからどうってこともないけど、あの時自分がどんな気持ちだったのか、何が嬉しくて何が不安だったのか、日々の忙しさに紛れてどんどん薄れて忘れていってしまうことが、なんとはなしに寂しく思うのかもしれないなあ。

 

まあでも、実際マタニティの時、私はどうしようもないマタニティブルーで、子供は無事に産まれてくるのか、産まれてきたとして本当に親になれるのか、否応無しに変わってしまうものに対する不安で押しつぶされそうになりながらの妊婦生活だったからなー。

時が巻き戻るなら、もっと妊婦ライフ楽しめ!子供は可愛いぞ!!と言ってあげたいけど。

ってか、既にママだった友達にそう言われてもやっぱり不安だったので、あんまり意味はないだろうかw

結局、本人が納得するしかないのだなあ。

 

 ①記憶が薄れていくのが寂しいな

→でも忘れてくってことはそれだけ、妊娠出産で何も問題がなかったってことだから、それはそれでいいことなんだろうな。とポジティブに考える。

 

②みんなやってるのにな

→やってない人もいるし、やりたくても出来なかった人もいる。

 自分だけじゃない、という意識を持つ。

 

③これからはいっぱい撮ろう!と教訓にする。

 

 

このくだらない日記が、同じように「マタニティ撮り逃した!」と悲嘆にくれるママの慰めになりますように。٩( ᐛ )و

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